ブログ記事、コラム、商品のレビュー、…
インターネットは、たくさんの文章やコピーであふれ返っています。
そのほとんどは、読者やユーザーのニーズにこたえる素晴らしいものです。
しかし残念ながら、中には、
「ただ注目を集めさえすれば、それでいい」
と考えている人もいるようです。
詐欺?
あなたが情報商材を検索したとき、
まれに次のようなタイトルを目にすることがあると思います。
「○○ (情報商材の名前) は詐欺?」
情報商材を名前で検索する人は、
その商材に好意的か、あるいは購入することをすでに決めていて、
さらに詳しい情報を求めている場合がほとんどです。
もしあなたが、興味のある情報商材を検索していて
「詐欺?」という表現に出くわしたら、どう感じるでしょうか?
この商材は詐欺まがいの商品なのだろうか?
ネットの評判は悪くないのに。
買わないほうがいいのかもしれないな。
でも、とりあえず、記事の内容だけでも見ておこう。
モヤモヤした思いを引きずりながらブログを覗いてみると、
詐欺商材として批判するどころか、推薦教材として高く評価している。
つまり、「詐欺?」は、アフィリエイターが
自分のブログに読者を呼び込むための戦略にすぎません。
あなたは、ものの見事に引っかかってしまいました。
感情に訴える
なぜアフィリエイターは、「詐欺?」のような極端な表現を使いたがるのでしょうか。
それは理屈ではなく、読者の感情に直接訴えかけるためです。
記事に、どこにでもあるような平凡なタイトルをつけても、読者はスルーして終わりです。
そこで「詐欺?」のような強い言葉を入れておくと、多くの読者の感情に訴求します。
結果的に記事が読まれる確率が高まる、ということになります。
しかし、さすがに最近は「詐欺?」といった表現を目にすることも少なくなってきました。
似たようなタイトルの記事がネットにあふれ、効果が薄まってきたためです。
「詐欺?」だけではなく、
「稼げない?」「危険!」「買うな!」
といった書き方も、もうほとんど意味はないでしょう。
安易に刺激的な表現を使って注目を集めようとする方法は、
今ではもう、時代遅れのテクニックでしかありません。
それはもはや「平成のビジネススタイル」と呼んでもいいくらいです。
公益と私益
大げさな表現や感情をあおるような書き方。
最近では少なくなってきたと書きましたが、
先日、あるブログを見て驚いてしまいました。
そのブログでは特定の情報商材の名前を挙げ、
しっかりした根拠も示さないまま詐欺商材と決めつけ、
さらに、その商材を使って作業をすることは自殺行為だと紹介されていました。
「詐欺商材?」ではなく「詐欺商材」、「自殺行為?」ではなく「自殺行為」… 。
先ほど私は、あるブログを見て驚いてしまいました、と書きましたが、
私が「驚い」てしまったのは、不快な表現を目にしたことだけが理由ではありません。
いまだにこのような書き方をして集客につなげようとする人がいる、という現実に驚いたのです。
もちろん私も、情報商材やアフィリエイターに対して批判的な記事を書くことはあります。
しかし、批判を書く時、私の考えの根底には「公益」があります。
つまり、ある情報商材を購入したりコンサルを受講することが、
お客様や読者、特に初心者の方にとってあまりメリットがないと判断した場合、
私はその事実を正直に書くよう努めています。
そうすることで、ネットビジネスについて右も左もわからない、いわゆる「情報弱者」の方が
少しでも時間とお金をムダにしないですむと考えているからです。
それが私の考える「公益」です。
しかし、「詐欺商材」「自殺行為」と何のためらいもなく書いてしまうこのアフィリエイターは、
いわれのない批判で情報商材の信用を傷つけ、
最終的には別の情報商材を売るために、読者を自分のメールマガジンへと誘導していました。
このような振舞いは単なる「私益」、要するに「自分の得」しか考えていないということです。
アフィリエイターに必要なもの
世の中はきれいごとだけでは生きていけません。
私がこのブログを運営しているのも、効率よく副収入を得るためです。
しかし、お金のためなら手段を選ばない、といった考え方はやはり間違っているでしょう。
他人に迷惑をかけてはいけないし、不愉快な思いをさせてもいけない。
何より、お客様に不正確な情報を伝えてはいけない。
そういった最低限度の倫理観を
アフィリエイターは絶対にわきまえておくべきです。
久しぶりに目にした「時代遅れ」のブログ記事。
次第に遠くなりつつある平成を思いながら、改めて自戒の念を強くしています。